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■GP2の歴史:
1985年から20年間続いた国際F3000の進化型シリーズとして、2005年に誕生。
1996年からワンメイク化、F1の前座として開催されていた国際F3000は、F1のジュニア
ドライバーとジュニアチームの大挙参戦により一気に過熱し、最盛期には毎戦のように予選落ち
が発生するほどでした。
しかしその熱は2001年を最後に冷め、ジュニアチームは一斉に撤退。更にマシンの先鋭化による
コスト増が台数の減少に拍車を掛け、国際F3000最終年となった2004年には参加台数が20台を
切るレースもあり、ドライバーのラインナップも全く実績のないアマチュアが1/4を占めるという
惨状でした。興行としても低調で、特にテレビによる視聴率の低迷が目立ちました。
一時は廃止か改革かとまで言われましたが、2004年にバ−ニ−・エクレストンとルノーの首脳陣
が手を組み、GP2シリーズを発足。
当初、噂の段階では1984年以前に欧州で開催されていた「F2」の名前を復活させるという物でし
たが、フォーミュラの名を廃して、グランプリ(この場合はF1の事)の兄弟カテゴリとなる第2の
シリーズという意味を込めてGP2シリーズとなりました。
ワンメイク時代のF3000ではエンジンビルダー(エンジン開発専門の会社)がひっそりと供給して
いた感がありますが、このGP2では「パワ−ド・バイ・ルノー」と銘打って自動車メーカーの名を
全面に押し出します。またこれは実際的な意義より、「F1に近い」というブランド作りであるよう
に思われますが、F1と同じ溝付きタイヤをブリヂストンが供給。
しかしなまじマシンがハイスペックな分、参戦費用は高騰していたと言われるF3000末期より更に
高いものとなっています。
これを解消すべく、GP2主催者による徹底した一括管理が行われます。具体的にはテストの大幅な
制限と、合同テストのほぼ全てをフランスのポールリカールのみで実施すること。エンジンライフ
の大幅な延長によるランニングコストの抑制。テレビパッケージを再編成し、1GPにつき2レース
として露出を増やす事により費用対効果を高める、といったところです。
それぞれ、フランスの巨大自動車メーカーとテレビ放映に強いバーニーとが長所を活かす形と
なっています。
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