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... 開催時期 2000年〜2001年
開催数 年間10ラウンド。
開催国 アメリカ、カナダ
シャシー ダラーラ、バンディーメン、他多数
エンジン フォルクスワーゲン(ワンメイク)
タイヤ エイヴォン(ワンメイク)
ポイント 1位〜6位まで、10-6-4-3-2-1
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アメリカF3の歴史:
北米の新たなスターを発掘する目的で、2000年に設立。
エンジンをフォルクスワーゲンのワンメイクとし、強固に提携。エンジンサプライヤーのみならず、
冠スポンサーとして招致しました。シリーズ名も、USAF3チャンピオンシップ・パワード・バイ・
フォルクスワーゲンとしています。

昔からのF1ファンにはおなじみの、アメリカのワトキンスグレン。
カナダのジル・ビルヌーヴ・サーキット、オンタリオ州のモスポートパーク。
この3ケ所で開催され、02年にはインディアナポリスへも進出する予定でした。
しかし当時のアメリカにはCARTツアーに組み込まれ、TV露出もしっかりとした伝統的なミドル
フォーミュラが存在し、F3という物自体の知名度が皆無に等しい状況を覆すことができませんでした。
ブラジルや日本からのエントリーもありましたが、参加が10台以下のレースに終始。
二年目の01年は、台数確保のために博物館ものの古いマシンまで動員され、ほとんどヒストリック
レースと化しています。その上この年はオーガナイズの不備で10戦中4戦がキャンセルとなっています。
そして02年は更なるエントリー不足のため、開催中止。以後、再開の動きはありません。

カテゴリ自体もヨーロッパのマイナーF3レベルにも関わらず、F3がメインの興行としたために盛り
上がりに欠けるイベントとなってしまいました。
主催者の思惑とは全くの裏腹の結果だったと言えます。

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アメリカF3からのステップアップ:
ここからステップアップできた選手はごく僅かです。
01年チャンプのゴミデは、スペインのワールドシリーズ・バイ・ニッサンへ出場。
山本清大はFニッポンへステップアップしています。しかしどちらもスポンサーの力が大きく、
残念ながらアメリカF3での実績を全面的に認められてのことではありません。
F3ではスポット参戦で終わったものの、その後インフィニティ・プロシリーズ、インンディカー・
シリーズとステップアップしていったポ−ル・ダナのような例外もあります。

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... Driver Team Machine
2001年 ルチア−ノ・ゴミデ ユーロ・インターナショナル ダラーラF301/フォルクスワーゲン
2000年 スチュワ−ト・クロウ デイブ・マクミラン・レーシング ダラーラF300/フォルクスワーゲン
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